みそ汁革命のルーツを求め 古都・鎌倉へ

おしゃれな街並み、観光スポットとして、たくさんの人が訪れる「鎌倉」。ご存知の通り、かつてこの地で源頼朝は朝廷から征夷大将軍の任命を受け、鎌倉幕府を開きました。歴史的にも大きな変化があった鎌倉時代ですが、みそ史の中でも、記念すべき時代ともいえます。なぜなら、それまでつけたり、なめたりして食べられていた「粒みそ」をすりつぶして「すりみそ」が使われるようになるのです。そう、それをお湯に溶けば、「みそ汁」の誕生です。また、最古のおかずみそ「金山寺みそ」が伝わったのもこの時代です。

JR「鎌倉駅」より徒歩20分、現在の清泉小学校の辺り(雪ノ下)に、頼朝が御所を構えていたとのこと。そのすぐ近くに「源頼朝の墓」があります。世を変えたカリスマ、源頼朝が食べていたみそ汁はどんなものだったのか…。歴史にロマンを感じながら立ち寄ってみるのも面白い。

シナの文化を模倣した平安貴族の食生活は豪華を極め、年中行事をはじめ多種多様な宴会があったという。一方、鎌倉武士は「一汁一菜」の質素な食事スタイルで、玄米、干し飯、梅干し、ごま、鰹節、干し魚などが中心。みそは、味付けのソースとしてだけでなく、貴重なタンパク源として重宝されました。

「一汁一菜」は派手さはないが、理にかなった食事法で、日本人の食の基本となりました。それを証明するかのように、貴族たちの多くが栄養失調や皮膚病などの病気になりがちだったのに比べ、鎌倉武士たちは健康で長生きだったそうです。天下を取りながらもおごらず質素な暮らしを心がけていた武士には頭が下がりますが、経験的にも、「粗食がカラダにイイ」と知っていたのかもしれませんね。

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藤本智子

【MISODO(藤本智子)】株式会社ミソド代表取締役、一般社団法人みそまる普及委員会理事、月刊「ジャパン味噌プレス」編集長、みそソムリエ。アパレル販売員、読者モデル等を経て、2011年「ミソガール」として味噌の普及活動を開始。みそまる考案。ミラノ万博や伊勢志摩サミット等イベントやメディア出演を通し、味噌の魅力を伝えている(2019年MISODOに改名)。著書に『みそまる』(宝島社)、『みそまる 作りおきみそ汁83のレシピ&アイデア』(二見書房)、『手軽に作れて、キレイに効く! みそまる』(主婦と生活社)等。