主役はみそ汁!武士たちの「みそパ」汁講~SHIRUKO~

汁講とは

「汁講(しるこう)」とは、戦国武将も楽しんだ「みそ汁パーティー」のこと。主宰者が汁(具材含む)と酒を用意し、客人がごはんを持参して、鍋を囲んで酒を酌み交わす宴。豪華ではないけれど心のこもったホームパーティーのようなもので、人々は「汁講」を開いて歌ったり踊ったり…楽しい時間を過ごしたといわれている。「飲みニケーション」という言葉が流行って久しい現代、もう一度みそをきっかけに人々が交流し、笑顔が広がることを願いたい。

明智光秀の汁講

室町時代末期には、すでに人々の生活の一部になっていたとされる。「武士のメシ」(発行:宝島社、著:永山久夫)に、明智光秀が主宰した「汁講」についての心あたたまるエピソードが記されていた。光秀がまだ貧しかった頃、仲間うちで「汁講」をよく催していた。あるとき、ホスト役が回ってきたが、浪人中で自分たちの生活もままならない状況。「客をもてなすことはできないので断ろうと思う」と妻に言った。しかし、妻は「なんとかします」と言い、迎えた当日、どの宴席よりも豪華なふるまいでお客をもてなした。妻は夫を立てなければ、の一心で自分の髪を売ってお金をつくったのであった。そこまでして自分を立ててくれた妻に感謝し、「いつかこの恩を返す」と誓った光秀だったという。

鍋ストーリー

鍋料理は古代からあったが、その歴史が花開いたのは江戸時代後期と、意外に浅い。囲炉裏にかける大鍋に対して、食卓に持ち出し、少人数で食べる鍋料理を「小鍋立て」といった。江戸では七輪や火鉢を用いて鍋を火にかけ、煮ながら食べる「小鍋立て」がブームになり、一つの鍋をみんなで囲む、現在の「鍋料理」のスタイルへと変化していった。肉や魚介、豆腐、野菜など、身近な食材を用いた便利な調理法として、全国各地に個性豊かな鍋が誕生していった。定番メニューの「みそ鍋」は、横浜発祥とされ、明治時代に大流行した牛鍋(すきやき)も、もともとはみそ味だったそう。当時は食べ慣れていなかった、牛肉の臭みを消すために、みそで煮込んだのがはじまりといわれている。

戦国時代と味噌

武将たちは戦闘能力を左右する「兵糧」に関心を持ち、特に米とみそを大切にしていた。そのまま舐めたり、食べたりできるほか、調味料としても使えるみそは重宝されていた。米と塩とともにみそは、陣中の兵糧として活躍。「みそ玉」として携帯し、おかず代わりにかじったり、お湯に溶いてみそ汁にしたり。 武田信玄が「信州みそ」の基盤をつくり、伊達政宗が日本初のみそ工場「塩噌蔵」を建てたことでもわかるように、みそは歴史と深く紐づいている。

Shiruko is the miso soup party that samurai warriors in the age of provincial wars held. The host would prepare the soup and the guests would bring their own rice. Let’s have this party arranged in modern style.

 

ABOUTこの記事をかいた人

藤本智子

藤本智子(ふじもとともこ) 1985 年生まれ、横浜市在住。アパレル販売員、読者モデル、ファッション雑貨店マネージャーを経て、2011 年ミソガールとして「365 日味噌活宣言」をし、みその普及啓蒙活動を開始。2012年「みそソムリエ」取得。2014 年「ジャパン味噌プレス」創刊。2015年「ミラノ国際博覧会日本館サポーター」「朱鷺米応援大使2015」(佐渡市)に就任。著書に『みそまる』(宝島社)、『みそまる 作りおきみそ汁83のレシピ&アイデア』(二見書房)、『手軽に作れて、キレイに効く! みそまる』(主婦と生活社)等がある。2016 年より「中央情報専門学校」非常勤講師。2016年10月株式会社ミソド設立、代表取締役。一般社団法人みそまる普及委員会 理事。