粋な江戸グルメ、おいしさの秘訣は味噌「駒形どぜう」のどじょう料理

浅草に本店を構える「駒形とぜう」は、200余年の歴史があるどじょう料理専門店。スタミナ抜群の「どぜう(どじょう)汁」は、江戸時代のファストフードとして庶民にもてはやされた。江戸甘味噌をベースとしたとろ~り濃厚スープに、骨までトロトロに柔らかく煮たどじょうは、驚くほどやさしい風味で体に浸みわたる。江戸の情緒を味わいに足を運んでみてはいかが?

※「どじょう」は、もともとは「どぢやう」もしくは「どじやう」と書くのが正しい表記。それを 「どぜう」としたのは初代・越後屋助七の発案。 4文字では縁起が悪いので、奇数文字の「どぜう」とした。

「駒形どぜう」の創業は1801年、徳川家斉公の時代に遡る。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸へ出て奉公した後、浅草駒形に店を構えた。当時から駒形は、浅草寺への参詣ルートのメインストリートであり、店は多くの人で賑わった。その頃どじょうは日常食として全国的に食べられていた。江戸時代の「どぜう汁」の値段は十六文で、現代でいうファストフードのような存在ともいえる。

開店当時は、どぜう汁とごはんだけの一膳飯屋だったが、現在の看板料理「どぜうなべ」は、三代目助七の発案。「どぜう汁」が庶民のお腹をこしらえるものだったのに対し「どぜうなべ」は吉原で遊ぶような通人にも受けた。

店は順調に繁盛していたものの、その長い歴史は決して平坦ではなかった。幾度となく襲った江戸の火災、関東大震災、第二次世界大戦など、店が全焼することもたびたびあった。昭和40年代頃には日本で農薬を多用するようになり、田んぼからどじょうがいなくなった。当時の店主、六代目助七は、優れた品質のどぜうを求めて全国を渡り歩き、ようやく天然ものにも劣らない優れた品質のどぜうを見つけ出した。

「どぜうなべ」は、厳選したどぜうを酒に漬けて酔わせ、甘味噌仕立ての汁で煮込んだあとすくい上げ、ダシのきいた割下で煮込んで完成。たっぷりのネギと山椒をのせて、ほかほかのごはんといただく。「どぜう汁」には、ちくま味噌の江戸甘味噌をベースに、京都の本田味噌本店の辛味噌を1割入れた「合わせ」がおいしさの秘密。「どぜうなべ」と同じ要領で、酒に浸けてから甘味噌仕立ての汁でささがきごぼうと一緒にじっくりとどぜうを煮込む。これが江戸時代から代々続く同店の味だ。

当時、仙台や三河からも江戸に味噌が大量に運ばれていたが、なぜ「江戸甘味噌」を使用するようになったのか。それは、地元の味を大切にしたい、という思いからではと推測される。江戸甘味噌は、光沢のある茶褐色の味噌で、米麹由来の甘みと大豆の香味が調和した江戸を代表する味噌。現在では、生産量が限られていて「幻の味噌」と称される。

「どじょうというと、特別な食べ物という先入観があるかもしれませんが、臭みもなく骨までホロホロで女性や外国人にも好評です。魚類の中で最もカルシウムを多く含み、骨粗鬆症や貧血予防など女性にうれしい効果も期待できます。浅草は東京らしい文化の発信地、どぜうなべ、どぜう汁を召し上がっていただき、粋な江戸文化にふれてみてください」と、七代目の隆史さん。


とぜうなべ


どぜう汁

お話を聞かせてくれた七代目渡辺隆史さん

【駒形どぜう浅草本店】
東京都台東区駒形1-7-12
TEL03-3842-4001
営業時間:11時〜21時(ラストオーダー) ※年中無休(大晦日と元日は休業)

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藤本智子

藤本智子(ふじもとともこ) 1985 年生まれ、横浜市在住。アパレル販売員、読者モデル、ファッション雑貨店マネージャーを経て、2011 年ミソガールとして「365 日味噌活宣言」をし、みその普及啓蒙活動を開始。2012年「みそソムリエ」取得。2014 年「ジャパン味噌プレス」創刊。2015年「ミラノ国際博覧会日本館サポーター」「朱鷺米応援大使2015」(佐渡市)に就任。著書に『みそまる』(宝島社)、『みそまる 作りおきみそ汁83のレシピ&アイデア』(二見書房)、『手軽に作れて、キレイに効く! みそまる』(主婦と生活社)等がある。2016 年より「中央情報専門学校」非常勤講師。2016年10月株式会社ミソド設立、代表取締役。一般社団法人みそまる普及委員会 理事。